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"4年前の傷痕"を引き摺る香港の代償

国際金融センターである香港が、国際金融以外の事件で"世界を揺るがした"稀有なケースとも言えるあの「雨傘運動」からもう今年で4年が経過しようとしています。昨年は、「特別行政区」として再出発した香港の20周年記念式典がありましたが、こうした節目節目に於いては依然として対中国と言う視点で香港(人)が消化し切れていない要素を内包していると言う面が所々でその顔を見せます。

そもそも、この「雨傘運動」を発火点となった根源的な理由と言うのは、中国全人代(中国全国人民代表大会)に置ける「ある決議」にあったと考えられています。この「ある決議」と言うのは2017年度の香港行政長官選挙に関するものであり、これを一方的に中国側が書き換えてしまったことに起因します。

具体的には2017年度選挙から導入されると考えられ、また約束されていた「普通選挙制度」案がこの全人代会議で一方的に棄却され、香港で(親中派が多数を占める)指名委員会のメンバーから過半数の支持を得られない候補者は、行政長官選挙そのものから除外する、と言う内容のものでした。

つまり、この形で選挙を行うと言うことは、香港人の代表を香港人自身が決定出来るという自由主権の保持ではなく、中国の、中国による、中国のための、香港行政長官選びとなり兼ねません。こうしたことを懸念し、強く反発した市民が起こしたのがこの運動=雨傘運動であった訳です。

こうして起こったこの雨傘運動から今年で4年が経過をする訳ですが、この運動の"爪痕"が現在までに残したものと言うのは一体何だったのでしょうか?

今年の6月24日、当時この雨傘運動に関わり、現在では香港中文大学にて副教授職に就いている政治学者、周保松氏が日本で開いた講演の中で、氏はこの雨傘運動は短期的な側面としては失敗したとの見方が大方を占めていると述べる傍ら、将来の中国国内での民主化のプロセスに於いては"大きな影響を与えるだろう"との考えを示しています。

このように、そもそも「一党独裁」が中国のスタイルであり、そこに組み込まれている自由民主主義の香港と言う"異分子"が不干渉しない状態のまま継続することは現実的ではなく、2014年のあの事件は極めて必然的要素であったことは否定出来ません。しかしながら香港を手中に納める側の中国としては、今後の香港の役割と言うものに対して経済的な面と同時にひとつの政治モデル(=政治特区)としての利用を考えている節もあるとのことですので(上記の周氏のような)雨傘運動が与えた教訓は将来の中国民主化の際の礎(いしずえ)となる可能性は含んでいる事でしょう。

2018年3月12日の香港立法会(定数70)補欠選挙開票の時、(雨傘運動で一躍有名になった)アグネス・チョウが擁する「香港衆志(デモシスト)」が4議席の内1つを獲得しました。元々はアグネス本人が立候補をしていた訳ですが、香港政府から"候補者資格が無い"との一方的な通知でその申請が不受理となり、同党から他の候補者である区諾軒氏を代わりに立てることで一矢を報いた形となった訳ですが、経済発展を中国と推進する香港政府の中枢(親中派)は依然としてこれを良しとしていません。

また、雨傘運動を文字通り、体ひとつで引っ張ったジョシュア・ウォンは今年の1月、当局によるデモ隊の排除活動を妨害したと言う難癖に等しい理由で2度目の収監を言い渡される等しています(但し実刑判決を最高裁が破棄)。

「雨傘運動」は、紛れもなく香港の歴史の中で起こった史上最大規模の抵抗でした。ここで内外に示されたことと言うのは中国と言う国の恐ろしさであり、それは香港市民、特に若い世代の心の中に"負の遺産"として刻印されてしまいました。将来を担うはずの彼等の多くが香港の将来に懐疑的になってしまった先に何があるのかは断言出来ませんが、割りを被ったのが香港だけであり、中国では全く無かったと言う事実が(香港にとって)明るいもので無いことは間違いないように感じます。

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