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香港を伝染病から救った日本人医師

更新日:2020年02月19日

2月に入り、中国を中心として次々と新型ウィルス(コロナウィルス)に関する情報が溢れ出て来ました。死亡者数や感染者数など、人々の不安を煽る数字は連日増加の一途を辿っています。

その中国と政治&ビジネスなどで大きな関わりがある香港にも徐々に「影響」が出始めており、巷では市民によるマスクやトイレットペーパー等の争奪戦が報道される等、群衆心理をベースとするヒステリックな反応は止まる様相を見せておりません。


実際、こうしたコロナウィルスに代表されるような「伝染病」というものは、"感染"と言う、多くの場合において我々人間にとって無意識に行なっている行為や目に見えない"ルート"を辿る形で拡散されてしまうケースが多く、人々が感じる不安感や恐怖感と言うものが必要以上に煽られ、また助長されてしまう局面があるのは致し方ありません。


現実的にはこれらの事態鎮静化の為の処方が何時、どの様になるのかは全て"一般国民による徹底した予防"や"医療機関が特効薬等を早期開発する"と言うようなことしか具体案が出て来ない状況ですが、実はこうした「伝染病」を軸に香港の歴史を見て行くと、今から120年以上前の時代に香港と日本を"結ぶ"、ある『出来事』があったことに驚きます。


本稿ではその『出来事』が何であったのかについてご紹介して行きます。


時は1894年(日本では明治27年)のこと、香港では何が切っ掛けか分からぬ原因不明の伝染病が突如流行し、これによって多くの香港人が死に至りました。その致死率は実に95%超(!)と言う強烈なものであり、時の香港政府は自力での解決は"不可能"と悟り、日本にその原因の究明と対策、及び支援を要請する流れとなりました。


これを受けた日本政府は直ちに伝染病研究所や帝大医学部に本件の対応を要請、これを受けて組成した調査医師団は間を置かず彼の地(香港)へ向かうことになりまし。7日後、船で香港に到着した日本人医師団は、香港島に在するケネディタウン病院で昼夜を問わず伝染病によって亡くなられた人々の遺体を解剖、臓器等を顕微鏡で丹念に見て行く等して、とうとうその「病魔」が何であるのかを突き止めることになります。


その伝染病の正体、それは「ペスト」でした。


その後、この情報を受け取った香港政府はペスト対策としてネズミ駆除や煮沸消毒などの種々の方策を大々的に実施することで、このペスト繁殖に歯止めを掛けることに成功したのです。


但し、これだけで「ドラマ」は終わりませんでした。


何故なら日本の医師団の責任者である青山医師が、香港の患者を治療中に何とこのペスト菌に自ら感染する事態に陥ってしまったからであり、この、"青山医師の危篤"と言う情報は香港のみならず、当時の日本にも大きく伝えられることになります。


香港では青山医師の回復を祈る集会が行われたり、日本からも新たな医師団が駆けつけるなど、あらゆる治療が施されたと言います。後日、懸命の治療が功奏して青山医師は土壇場で一命を取り留めることが出来ることになるのですが、まさにこのような劇的な展開は、香港と日本の絆をより深くしたことは間違いありません。


現在の「新型コロナウィルス」には予断を許す状況ではありませんが、かつて命を賭して仕事に取り組んだ青山医師と日本の調査医師団の一行の姿勢を知るだけでも、一服の清涼剤的な気持ちにさせられます。


さあ今回はどうなるでしょうか?

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