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一卵性双生児(?)、"共通の親"を持つ香港と台湾のスタンスの違いを分ける"キーワード"とは?

更新日:2020年05月11日

日本から香港と台湾を眺めた場合、距離としては双方ともほど近い範囲と言え、故に手軽に行ける旅行先としても人気のある場所ではありますが、この両者(香港&台湾)とその共通の「親」である中国のそれぞれにおける関係性や立場と言うものを深く理解している人は少ないようです。

特に香港と台湾の違いについては歴史的背景を知らずしてこの2つのエリアを理解することは難しく、"話に挙がることは多いものの、その本質的な違いは知らない"と言ったようなパターンが一般的には多いと言っても良いかも知れません。


今更ながらではありますが、ひとつの民族、国、地域を知るために必要なことと言うものはその者たちが辿って来た「歴史」です。香港と台湾にしてもそれは同様で、両者の違いや中国との関係性を把握するために理解しておかなければならない「最重要事項」のひとつであることが分かる筈です。


両者の近代史では特に「戦争」により支配国が移り変わった為、それぞれどの国からどのような支配を受けていたか?という点に注目して整理していくとより理解が容易になります。


■香港:1997年に英国統治から中国へ返還、"一国二制度"として「特別行政区」の設立

その昔、中国の歴代王朝によって支配されていた香港島は、アヘン戦争後の1842年、英国の支配下に置かれることとなります。その後、太平洋戦争時に日本軍が英国軍を制圧する為に香港島への侵攻を開始したことにより、以後、終戦まで実質的に香港は日本の植民地となりました。

1945年以降、約半世紀の間、再び英国領とされていた香港島ではありますが、中英間の協議により1997年7月1日中国へと返還されることで"一国二制度"がスタート。現在も「特別行政区」として自治権が与えられる地域となっています。


■台湾:中華民国政府が統治、日本もその歴史上に関与

香港同様に清朝による支配下に置かれていた台湾は、1894年の日清戦争で清朝が日本に敗戦したことにより日本の占領下へと移され、そこで台湾総督府が実質的な支配権を持つと言う経緯を辿ります。

そしてその後、約50年間にわたり日本の統治下とされていた台湾ですが、1945年の日本敗戦により支配国が移り中華民国が統治するようになります。

しかしながら、中国本土において国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)の内戦が続いた結果、劣勢にあった国民党が台湾へと流れ込み、現在の中華民国につながる政権を樹立することとなります。。


■中国との関係

上述の通り、香港も台湾も中国の一部として扱われてきた歴史があり、どちらも中国共産党により中華人民共和国の"一部'とされていますが、各々には異なる行政組織が存在しているのは事実であり(日本のような)一つの政府による統治がなされているとは言えません。


香港は自治権を認める旨が基本法(香港の司法・立法・行政の権限を与える法律)に記述されて居ますが自身はあくまで中華人民共和国の中の"一地域"であることを認めています。ところが香港の帰属をより強く求める共産党の圧力に市民が反発し、昨年は自治権の維持を盾にデモ集会を繰り返しました。


では台湾の場合はどうなのかと言うと、中国との関係について香港以上に"複雑"と称しても良いかも知れません。それは台湾自身があくまでも「独立国家」としての振る舞いを取っていることであり(事実、台湾人は自身を中華人民共和国の国民であるとの認識は殆ど有りません)、この行為は逆に中国共産党からすると、台湾をあくまで中国の一地域として見ている前提がある為、こうした行為は"許し難いもの"と目に映ります。


即ち、「独立」と言う言葉が香港と台湾を区分けするキーワードであり、これをベースにすることでこの両者の明確なスタンスの違いが明らかになると言うことです。似て非なる中国の一卵性双生児達である香港と台湾。そんな視点で両者を見ることも一考に値するものと言えるかも知れません。

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