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『香港かぜ』と言われるパンデミックが流行した1968年の被害規模とは?

更新日:2020年04月22日

最初は一都市に拡がった、"単なる"感染症のひとつと言う位置づけに過ぎなかった新型コロナウィルスですが、今やその猛威は全世界を揺るがす程のものにまで巨大化しています。これだけ拡散してしまった原因と言うのは、最小の単位で言うと、人と人との接点から感染してしまったものであり、またこうした事に拍車を掛けてしまったのが(以前の状況と比較して)格段に発達した交通手段(網)でありました。

現時点では、既に150万人を超える人々がこの新型コロナウィルスに感染し、その死亡者数も8万人を突破すると言う、まさに未曾有の事態へと発展してしまっています。


さて、このように『伝染病』と言う括りで考えると、この新型コロナウィルス以前のもので我々の脳裏に浮かぶものは2002年のSARS(重症性急性呼吸器症候群)があります。殺傷力が強いこの伝染病は当時も驚異的な目で見られていたものですが、実は人類は度々こうした伝染病や伝染病もどきの感染症を発症し、対処→解決して来たと言う事をご存知でしょうか?

今回の新型コロナウィルスでは"優等生たる"結果を作っている香港ではございますが、実は恥ずべきことに、この地域の名を付けられてしまった『パンデミック』が過去に存在したことがあります。その名は『香港かぜ(Hong kong flu)』と言うものです。


『香港かぜ』はインフルエンザ型のパンデミックの一種であり、重度指数(PSI)上ではカテゴリー2に位置付けられ、抗原不連続変異が"新型ウイルス"として認識されたと言うものでした。1957年の『アジアかぜ』の原因であったH2N2と同じ酵素である"ノイラミニダーゼ"なるものを持っていた訳ですが、結果として何処かの段階でこの『アジアかぜ』とは一線を画す変異があり、その為「H3N2亜型」と言う形で呼ばれる変遷を辿ります。


感染の経路は主に人、及び豚に感染し、また人と豚の間でも相互に感染するタイプのものであったとのことです。記録上、この『香港かぜ』の最初のケースが発見されたのは1968年7月13日であり、香港内で(1エーカー当たり)500人程度の人口密度にあたる場所にてそれは確認されたと言います

そしてその後2週間の内に最大数の感染者数に至り、更にその後6週にわたって流行に歯止めが掛からないと言う状況が続いてしまったとのことです。実際、最終的にこの『香港かぜ』が及ぼした被害と言うのは、現時点までの新型コロナウィルスのそれを遥かに上回る甚大なものであり、死亡者の数だけで言うと何と50万人前後まで到達したと言われています。


また、この『香港かぜ』の感染ペースも新型コロナウィルス"顔負け"の凄まじいものがありました。最初のケース発見から2ヶ月以内には(近隣諸国である)インドやフィリピンへとその勢力は拡がり、その後は北オーストラリア、ヨーロッパ諸国にまでに伝染が拡大したことが認められています。

勿論このような状況下では(新型コロナウィルスでも最大の被害を被っている)米国も例外では無く、結果的に500万人の罹患者を生み、そして何と33,000人が亡くなってしまうと言う非常事態にまで発展することになってしまいました。特に同国での感染原因となってしまったのはベトナム戦争の帰還兵がこのウィルスを国内に持ち込んでしまったとの記録があり、悲しむべき事実がこのパンデミックの裏に存在します。


結果的に『香港かぜ』は1969年に収束しましたが、その頃までには上述の国々だけで無く、日本、アフリカ、南アメリカでも感染事例が報告されていたとのことですので、まさに現代の新型コロナウィルスの猛威とオーバーラップ(重複)する点が多々有ります。


何れにせよ、我々が現在向き合っているこの新型コロナウィルスは先の見えない状況ではありますが、被害規模として今回に匹敵するレベルの『香港かぜ』から如何に人類が対処して来たのか?と言う視点に於いては、学ぶべきことが幾つも存在するかも知れません。

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