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香港も金メダルを獲得したことがある?オリンピックの中での"立ち位置"とは?

更新日:2020年04月07日

既にご存知の通り、56年振りの開催予定であった東京オリンピックは未曽有の伝染病である新型コロナウィルスの猛威によって1年程度を前提とした延期に追い込まれることになりました。この大会を目指していた選手たちの思いたるや忸怩した部分もあるでしょうが、同時に安堵の息を洩らす部分もさぞかし存在していたことでしょう


さて、今年、香港は97年に中国へ返還されて23年目に入る訳ですが、実は返還前の英国統治時代に夏季オリンピックで金メダルを獲得した歴史があります。それは返還一年前の1996年、米国アトランタで行われたアトランタ・オリンピックにおいて「セーリング」と言う種目でのものであった訳ですが、僅か人口700万人程度の地域であるこの香港から世界一のアスリートを輩出した事実があることには大きな驚きを禁じ得ません。


獲得メダル数は「極小」と言っても過言ではありませんが、それでも上記のアトランタでの金メダル1個と2004年のアテネ・オリンピックでの銀メダル(種目は何と中国のお株を奪う「卓球」!)、そして今回の東京の一つ前であり2012年に開催された英国ロンドン・オリンピックでの銅メダル(種目は「自転車」)の計3つは(尚、オリンピックには夏季と冬季の二つが存在しますが、残念ながら冬季オリンピックでは香港は今までメダルを獲得した歴史はありません)香港にとって自身を証明する為の誇りのひとつであることは間違いない筈です。


ではオリンピックを巡る香港の歴史はどのような変遷を辿って来たのでしょうか?


オリンピックの香港参加の承認と言うのは1951年まで遡ることになります。翌1952年に開催されたヘルシンキで悲願の初参加を達成することになる訳ですが、当時は初参加と言うこともあり、世界との"差"を感じざるを得ない結果となってしまったことは想像に難くありません。

しかしながらこうした事にもめげず、以後毎回、1980年のモスクワを除き、夏季オリンピックの16大会中、15大会に参加を成し遂げて来ました。また冬季オリンピックには2002年のソルトレイクシティから参加、現時点までで4回の大会に参加しています。


一点、オリンピックを軸として香港と統治国の関係を見て行くと興味深い点が存在します。何故なら特に97年の中国返還以後においても香港はあくまで"香港として"これらのオリンピックに参加していると言う事実です。


実際、開会式などでも香港は中国の選手団とは交わらず、あくまで"単独の地域の代表"としての参加形式を維持しています。その理由はと言うと、中国と英国で香港返還が話われた際、香港には"自治権"を与えると言う文言があり、これが香港の法律である基本法(Basic Law)の根幹を成すコンセプトである、と両国が理解していると考えられているからです(但し最近の中国の動きからはこうした理解を前提にしているとは思えない面が多々有りますが...)。


こうして独自の立ち位置を香港は世界で"最も権威のあるスポーツイベントのひとつで主張出来ている訳ですが、ではナショナリズムに香港人たちが浸るのかと言うと決してそうではありません。彼等の多くが取るオリンピック大会へのスタンスと言うのは、(他国から見ると)"失笑を禁じ得ないもの"と形容しても良いかも知れません。

それは(メダル獲得数が非常に少ないと言う反動から)殆ど勝てない競技ばかりで埋め尽くされてしまう為なのでしょうか、彼等視聴者たちは自然と統治国に"すり寄る"位置を確保して観戦していると言う点です。


つまり、英国統治時代にはまるで英国民かのように振舞い、返還後はと言うと、彼等はまるで中国人であるかのように振舞うと言う反応です。自地域はあくまで単独の選手団としてアイデンティティーを主張している反面、結果にフォーカスを当てる際にはこうした拘りをいつの間にか脇に置き、統治国に自分達を"同化"させて捉えようとするのですから如何にもそれが香港人特有のご都合主義と目に映る方も多いのではないでしょうか。

何れにしても、来年の東京オリンピックにおいて彼等が一体どのような"立ち位置"で臨む事になるのかを注目をしておくと言うのも一興になるトピックかも知れません。

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