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香港法人・オフショア法人設立お役立ち情報

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中国側から見る「香港」の処遇の正しさとは?

既に施行されてから5ヶ月近く経過している英国の「BNO」ですが、これが中国に与えた"感情"と言うのは決して面白いものではありませんでした。

英国がこれを実施した理由と言うのは、表向きには、中国が設置した「香港国家安全維持法」に対する一種の政治的なカウンターであり、かつての旧宗主国が自由を求める香港市民に対してその「逃げ道」(=助け舟)を用意するのと同時に、キリスト教的な一種の「慈悲」と言うものが世間の印象として残りますが、中国(共産党)から見ると(無論、これは折込み済み事項であったとは言え)一方的に"悪者扱い"されたことに対して英国への積年の恨みを一層強化させたものだったでしょう。

 
彼等からすると英国こそ一度は香港を「植民地」として統治していた当事者であり、その実態と言うのは今の中国が行っていることとさほど変わらなかったとの認識があるからです。

 
むしろ中国にしてみれば、英国には歴史上の一大事件であったアヘンを利用し戦争を仕掛けられ、この戦争に敗れたため香港をもぎ取られたという"苦い爪痕"が残っています。

 
実際、その後の英国が香港に対して行なって来たことと言うのは(中国的には)香港市民に"自由を与えていた"と言うのは抗弁であり、あくまでも当時の基準である「植民地」として統治をしていたと言う理解です。

ところが、99年間の約束事(返還)を遵守する際になり、慌てて様々な方法で(①議会を民主的に動かせるようにした、②法律<基本法>を制定した→あたかも自由な香港がこれまでもずっと存在していていたかのような演出、③返還後も50年間その制度<一国二制度>を維持する約束をさせた等)整備をして行ったとなった為、中国側から見たら(何を都合の良いことを言ってるんだ!)となったのです。

要するに返す直前になって(部分的に)"民主化"しただけ、いうのが中国側の主張で、英国自体も結局は自由を抑圧していたのは同じであり、大差はない、と言うものなのです。
 
事実、参政権の部分などについては英国統治時代も制限があり(しかしながら言論の自由と言う部分についてはある程度認められていました)、これを不満に思った当時の香港人が仮に「香港独立」などと言い出していたら、幾ら英国でも(植民地の分際で何を独立だ!)と実力行使で鎮圧することになっていたかも知れません。事実、第二次大戦が終わる前の「植民地」と言うものは、現代の我々が想像するような状況とはかけ離れる程酷い扱いだったのは歴史が証明しています。
 
しかしながら、中国を動かす動機と言うのはこうした歴史感に基づくものだけではなく、立地的な局面も存在していると言えます。
 

現在の表面的な流れと言うのはあくまで中国の「強硬姿勢」と目に映りますが、実は香港の抵抗を許すとなってしまうと、"芋づる"式に反乱分子が中国全土で出て来てもおかしくはないと言うのが国内の実態であり、立地的な点で香港の隣に位置する深圳、或いは広東省へと連鎖したりしてしまったりすると今度は華東である上海、華北の北京と行った他の主要都市にこの運動(民主化)が広がって行く可能性が出て来ます。

 
結局のところ、中国は(国内に於いては)今までこうした動きをことごとく力で押さえつけて来たと言う歴史を持っているが為、党の中央部にはそのような動きに対して一種の恐怖心が存在しており、いつ民衆が反抗するかもしれないと言うことを常に気にしています。

最悪のシナリオはこれらの地域が反旗を翻すとなると国家分裂は不可避に陥り、しかも分裂後の残りの中国と言うのは漢民族が多く居住する沿岸地域だけに限定される可能性が高く、これは即ち供給物資面からも資源不足が一気に表面化すると言う展開になります。

こういう観点から小民族や小さな地域でも世界に露出が多い香港を西側の意のままに同意する訳には行かないのです。
 
こうした観点がベースとなっている為、中国の香港への処遇と言うのは自国(→共産党)の存亡に極めて太い線で繋がっているキーポイントと言っても過言ではないでしょう。英国は利権の確保を目指した一国二制度とBNO、そして中国は一党独裁から描く国家の反映と安定性の維持がその言動に見え隠れします。政治(と後ろに繋がる経済)の道具と化すこの「香港」。

果たしてどうなるでしょうか?

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